「個性的なカスタムバイクを作りたい!」
カスタム好きなバイク乗りなら、こう思ったこと、一度や二度じゃありますまい。
世間では「個性的な人間であるべし」などと、個性重視の風潮も見受けられるし。
しかしkurokiは、「個性的」というコトバに抵抗を感じている。
なんだか薄っぺらいなぁ、浅いなぁと思ってしまう。。
そこで今回は、個性についてkurokiなりに掘り下げてみたい。
「個性」とは
まず、「個性」という言葉の意味を明確にしておこう。
「個人- 個物を他の人- 物から区別しうるような、固有の特性。パーソナリティー。」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
ここでは「違い」しか示されていないことに注目してほしい。
個性を優れているというニュアンスで使う向きが多いようだが、これは正確な表現ではない。
違うこと≠良いこと
違いを求めることや差別化を図ることは、程度の差こそあれ、誰もが持ちうる普通の嗜好だと思う。
問題は、どのようにして差別化を図るか、ではないか。
例えば、他とは違うことを目的としたカスタムマシンは、薄っぺらいし浅いと感じる。
逆に、kurokiがイイなと思うマシンは、内から滲み出るような、ただならぬ個性を放っている。
両者の違いは、一体どこから生じるのだろうか?
仮に、後者にはxxxのマフラーが装着されていたとする。
格好いい。自分のバイクにも付けてみたい。
そう思うだけで止めないで、ちょっと考えてほしい。
- このマフラーを装着したのは、なぜ?
- 吸気側のパーツ、キャブやエアクリはどうなんだ?
- エンジンの内部にも手を入れたのか?
- サスや車体のセッティングはどうした?
- このバイクのコンセプトは、全体的なセッティングの方向性は何だ?
- どういうライダーが、どういう状況で乗ろうとしているのか?
などと、制作者の意図を分析してみよう。
カスタムのエッセンスを抽出してみよう。
背後に隠された膨大なモノゴトを知ろうとしなければ、薄っぺらなカスタムからの脱皮は望めない。
自然に現れる違いが個性
まるで禅問答みたいだが、個性って追求するもんじゃないと思う。
何かを追求した結果、自然に現れる違いが個性になると思うのだ。
何を追求するかは人によって違う。それこそ千差万別だ。
試行錯誤して見つけてください、としか今のkurokiには言えない。
ただ、その人なりに筋の通った、明確な目標のあるカスタムは格好いいと思う。
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