[つぶやき] ローリングについて思うこと

Yahoo掲示板で、峠のローリング走行について考える、というテーマが持ち上がった。
二輪車通行止め路線に腹を立てたツーリングライダーが、峠走りを繰り返す、俗称「ローリング族」を非難する内容だった。
kurokiも初期の段階では参加していたが、すぐに嫌気がさして、早々に立ち去ってしまった。

ま、確かに彼らの言うことは正論だし、峠走りを楽しむ我らが責められるのは致し方ないことだと思う。

でも、なんなんだろう。
胸に残る、このモヤモヤとした違和感は。
正論だけど、何か引っかかる。

ちょっと検証してみることにしますか。

道路交通法の遵守について

まず、1つ目のモヤモヤ。道路交通法の遵守について。

エラソーに正論をたれる彼らは、道路交通法を守ってるだろうか?
1km/hもオーバーせず、キッチリ制限速度を遵守しているのだろうか?
駐車禁止のところに、バイクを停めたりしてないよなぁ?

まず間違いなく、守ってないだろう。
交通の流れを阻害するとか、駐車スペースが用意されてないとか、あれこれ言い訳しつつね。
自分勝手な理由を付けて規則を守らないのは、彼らも同じだ。

自分たちのことを棚に上げて、「遵法精神」などとキレイゴト抜かすのは止めて欲しい。
偽善臭さが鼻につく。

ぶっちゃけ、程度問題なんだけどね。

スポーツバイクに乗ることについて

次に、2つ目のモヤモヤ。スポーツバイクに乗ることについて。

スポーツバイクが楽める領域は、公道においては、峠と高速道路しかない。
景色を見ながらのんびりなんてのは、別のバイクでのオハナシ。
すっ飛ばしてこそ楽しめるシロモノである、スポーツバイクってのは。

「峠で暴走行為を止めれば通行止めは無くなる。」

などと言うキレイゴトは、効き目なんてあるわけがない。
様々なしがらみを振り切って、反社会性の高いこの乗り物に乗っている連中が、掲示板の匿名クンが言う正論に、耳を貸すと思うのかい?

「キレイゴト抜かすなら、バイク降りちまいな」

と切り捨てられるのがオチだろう。

ところが、歴戦のGPライダーなどに言われるなら、ハナシは別。
尊敬できる走りのライダーの言葉なら、耳を傾けたくなるハズ。
例えば、平忠彦氏に言われたら、熱心に聞く人、多いと思うけどね。

単純な理屈。チカラ関係。

走り屋心理について

最後に、3つ目のモヤモヤ。走り屋心理について。

走り屋ってのは、走りたくて仕方ないから走ってるワケ。
峠って場所は、エネルギーを発散するうってつけの場所なんだ。

峠走りを止めさせるなら、エネルギーの矛先を別のトコロに向けさせる必要があるだろう。
もっとレベルの高い、充実した走りを楽しめるサーキットに誘うとかね。

サーキットってのは実に良い。とにかく走りに集中でる。
路面も良いし、対向車も無い。検挙にビクビクする必要もない。
峠に接するスタンスも変ってくる。余裕を持って走れるようになるし、無闇にペースを上げなくなる。
なにより「井の中の蛙」を実感できるし。

走りの欲求のはけ口を、サーキットに持ってきてしまえば、恐らくローリングは減るだろう。
そして、レベルの高い走りを体得したライダーが、峠に戻って啓蒙できればなお良し。

ただ、頭ごなしに「サーキットに行け」と言うのは逆効果だ。
内容自体は正しいのだが、伝えるプロセスが間違っている。
エラソーに正論たれてる連中は、この辺の心理を理解していないように見えるんだよね。

まとめ

結局、自分で自分の掟を作って、自分の行動を制限するしかないんだ。

事故って死なないように。
K察に捕まらないように。
自分の人生を台無しにしないように。
そして、他人の人生も台無しにしないように。

峠走りにおいても、楽しい遊び場を取り上げられないようにするためには、自分で自分を律する掟を作って守るしかないんだよ。

だから皆さん、公道ではホドホドに遊びましょう。