[つぶやき] 良い意味での個性

少し前、個性についてのコラムを書いた。
時間を経て、kurokiの考えが整理されてきたので、個性についてもっと踏み込んだ考察を述べてみたい。

個性を尊重しすぎていないか

kurokiは、「個性的」というコトバに抵抗感があるとは、以前も書いた通り。
より正確に言うと、「個性を尊重しすぎる傾向」に不快感がある。

辞書によると、個性というコトバの意味は、こう書かれている。

「個人・個物を他の人・物から区別しうるような、固有の特性。パーソナリティー。」
三省堂提供「大辞林 第二版」より

つまり、良くも悪くも他人から区別できる違いがあれば、個性となるワケだ。

しかし、無条件で「違い=個性」を尊重するワケにはいかない。
例えば、混雑した電車の中でわめき散らすヤツがいたとする。
確かに他人とは異なることをしてはいるが、この傍若無人な振る舞いを個性と言わないだろう。

他人に不快感を与える振る舞いも、個性と称して正当化してしまう風潮。
このことにkurokiは苛立ちを覚えている。

良い個性、悪い個性

個性には、良い個性と悪い個性があると考えている。
そこで、良い個性の定義を、次のように提案したい。

「第三者に感銘を与えるような、優れた違いを有する人やモノ」

逆に言うと、第三者に不快感を与える違いは、個性的とは言い難い。

また、個性は第三者から区別されなければ、成立しない。
つまり、第三者に認めてもらえない違いでは、個性的と言えない。

第三者に認められる違い

「個性的なカスタムバイクを作りたい!」

そう思うなら、他人に「イイね」と言わせる、「ほほう」と唸らせる違いを出すことが重要となる。
他のバイクと違うことだけで、悦に入っちゃいけないよ。
第三者に認めてもらえなければ、個性的なカスタムとは言えないのだから。

ただ、個性なんて結果に付いてくるオマケみたいもんじゃないかと、kurokiは思っている。
個性的であることを目的とするのは、本末転倒ではないかと思うワケで。

なお、何も褒めることがない場合のお世辞として、「個性的」が使われることがある。
お気を付けを(笑)。