先日、パソコン通信NIFTY-Serveのフォーラム(掲示板)で、次のテーマについての大論争が発生した。
- 「つまらない自主規制に縛られた国内向けバイクはつまらない」
- 「実走なくしてバイクの評価はできるか」
論争、と言えば聞こえはイイのだが、実際は不毛な水掛け論。醜い泥仕合だった。
kurokiは、後者の立場で、論争に参加した。
最終的にはフォーラムが荒れに荒れ、スタッフが仲裁に入る形で論争の幕が閉じることになった。
なんとも後味の悪い結末である。
あらかじめ断っておくが、この場でこの論争の是非を問うたり、論争相手を非難したりするつもりは、全くない。
今回の趣旨は、この論争をキッカケに、kurokiはオンライン上の議論に対して、興味を持てなくなったということ。
その心情の移ろいを、今から述べたい。
平行線の議論に消耗
オンライン上の議論は、基本的に文字だけのコミュニケーションである。
ちょっとした表現の違いが誤解を呼び、本筋と離れたことに関して言い争いが、いとも簡単に発生する。
遠距離恋愛をされた方なら、実感するかもしれない。
電話でしか、手紙でしか相手とやりとりできないことの危うさを。
実際に目の前で向き合って話せば、そんな行き違いは起こらなかったのに。
そう後悔することがあったのではないだろうか?
お互いの考え(思想とも言う)がぶつかる時は、大変だ。
相手の目の前で、身振りや手振り、表情の変化、声の抑揚などを駆使して説明したとしても、理解してもらうのは相当難しいことなのに。
それがオンライン上で、見も知らぬ相手とやり合うことになったら‥‥。
結果、議論は平行線をたどり、お互い消耗するだけ。時間と労力を無駄に消費するばかり。
それでも、なんらかの成果が見いだせればイイのだが、それすらなければ、徒労感はさらに重く増幅する。
今回の論争は、まさにその典型だった。
冷めてしまった理由
冷めてしまった理由は、コレだけじゃない。
要領を得ない初心者の質問に答えても、何のアクションも返ってこない。
そういうことは、ホントに良くある(いわゆる「教えてクン」)。
所詮はそんなモンだと諦めてはいても、自分が回答に費やした時間や労力を振り返ると、虚しさがこみ上げてくる。
そして、そんな初心者が、毎日どこかで量産され、次々に送り込まれてくるワケで。
回答する情熱は、しだいしだいに削がれていき‥‥。
また、「ためにする議論」が好きな連中も、少なからず存在する。
この手の輩に、歩み寄ろうという姿勢はない。
自分の意見を、相手に押しつけられれば、それで目的達成なのである。
こんな連中に、いくら誠意を込めた意見を述べても、偏見というフィルターでねじ曲げられるだけ。
そして、こちらの真意は届かず、意に反した不思議な反論が返ってくるのである。
議論は空回りを続け、サーバー上に無駄な文字データが沈殿していき‥‥。
こういうことが積み重なり、いい加減嫌気がさしていた矢先に、このような出来事があったワケ。
kurokiの中で、何かが切れた。
「あ~っ、馬鹿らしい。無駄だ無駄だこんなのっ。」
今回の教訓
今回の論争で、kuroki自身も反省するべき点が多々ある。
- 当初はそういうつもりはなかったのだが、最終的に相手の思想に立ち入ってしまったこと。
- 後で読み返してみて気づいたが、多少なりとも自分の考えを押しつけていたこと。
これらは、素直に反省せねばなならない。
そしてkurokiは、この失敗から以下の教訓を得た。
- 相手の思想に立ち入らない。踏み込みそうになったらすぐに引くこと。
- それよりも、そういう議論に参加しない。意見しなければ、何の害をもたらさない。
- 意見するときは、明確な答えが出るテーマにすること。実体験に基づくデータの提供だけなら、泥仕合にはならない。
- 熱くなって自分を見失わないこと。後で冷静になって読み返すと、恥ずかしいことこの上ない。
結論
しばらく距離を置いてみて、冷静に考えてみた。
今まで自分は、何のために議論していたのか?
金にもならない、しかも自分のためにもならないことに、どうしてこんな労力をつぎ込んだのか?
正直言って、心から馬鹿馬鹿しいと思った。
実に無駄なことをしたと思った。
もうコリゴリだと思った。
だから今後は、オンライン上の議論には参加しないつもり。
お気楽な会話ならイイが、思想や考え方が絡みそうな議論には、オンライン上ではもう口を挟まない。
基本的にデータを提供する立場に終始して、踏み込んだハナシは会って話せる相手にだけに限定しようと思う。
わかって欲しい相手にわかってもらえれば、それでもう十分なんだよね。